「小気味よい」とは?
「小気味よい」という言葉を初めてみたのは「風の谷のナウシカ」(宮崎駿)の原作マンガの中だった。古くさい言葉だな、 と思ったがプラスの意味であろうことはわかった。
辞書を引いてみたら
小気味好い:気持ちが良い。あざやかで好感が持てる。
とあった。なるほど「あざやか」を示す言葉だったのか。 さてなんでこの言葉について書いているかというと周りを見渡してみた時「小気味好い」、「あざやか」 が少なくなっていきているような気がしたからである。
自分を含めセコセコしているように思う。回避志向が習慣化しており、どうにも動きにキレが感じられないのである。
自分の場合も例外ではなく意思決定の遅れが目立つ。理由はわかっている。
「損得の頭を使いすぎる」
それが理由である。
僕の考えだが人のエネルギーは使えばなくなるという種類のものではない。使わないから出せなくなるのである。
筋トレと同じだ。
現在の筋織が壊れる域までやらないと新しい筋肉はつかない。人のエネルギーも同じである。
いまもっているエネルギーの限界までひっぱってやらないとエネルギーの絶対量は増えていかない。
手前で止めてしまうとキャパがそこで固定されてしまう。
それでは面白くない。
エネルギー力の鍛え方は簡単だ。瞬時に意思決定を繰り返し活動限界までひっぱる。死なない限りはそれでエネルギー力は増加していく。 限界点という概念は存在せず、閾値を境に質が転じる。
人のエネルギーとはそういう種類のものだ。