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川の向こうとこちら側

今朝の雑感。

世界にはいろいろな人がいる。
東京のそれまたマイナーな月島・勝ちどきエリアにも。

人間のかなり根元的なことに関係してくるのでこれ以上は書けない。。

これは関連しているけれど別な話。
サービスについて考えたこと。

サービスを「場」としての考えるとそこに集まってくる人というのはそのサービスの持つ空気に共鳴している人だと思うのだがその根本、根っこにある「素」はなんなのだろう。
人であろうか、物理的な場であろうか。

これは僕が子供の頃の話である。
車で隣町の相馬市にいくときに国道六号線を通ると山間にはいってすぐのところにレストランがあった。しばらくしてからそのレストランは改装されログハウスになっていた。喫茶系の店だったのがステーキ店になっていた。

ところがそれから数ヶ月するとそのステーキ店も閉まっていた。
両親いわく「あの場所は誰がやっても続かないんだ」とのことだった。
そんなことがあるのだろうか。
子供ながらに不思議であった。
場所的にはかなりいいポジションだったし、それぞれの店もみた感じは小ぎれいで悪くなかったように思う。

そこはどんな商売をやってもうまくいかない「場」だったのだろうか。
確かにその場所では次々に店が閉開店を続けていた。

変わった人、恐い人(この場合の恐いは暴力的という意味ではない)がきやすい「場」というのはあるのだろうか。たまに週末のWINZにいくと雰囲気に圧倒される。空間に渦巻く思考や思惑がムワっと押し寄せてくる。

新橋、銀座、東京はそれぞれ1kmも離れていない。しかし、銀座エリアと新橋エリアの境界。銀座エリアと東京エリアの境界は明確で共に首都高を挟んで雰囲気がガラリと変わる。こちらに住みはじめた頃から、あれが不思議でならなかった。何故あれほど明確に雰囲気が変わるのだろう。

新橋の一角に漂う空気は他よりも濃度が濃く感じられる。その空間だけ地場が歪んでいるような印象をうける。具体的にどのあたりということも言える。そこには何かがあるのだろうか。

月島と勝ちどきも運河を挟んで向こうとこちらなのだがここにもハッキリとした空気の違いがある。何がそれを感じさせているのかを「コレである」と明示することはできないのだが数メートルを境に確かに違いを感じる。

隅田川をはさんで同じようにテラスが整備されている。
月島側にホームレスの姿はない。
しかし対岸の築地側には多くのホームレスがテントを張って暮らしている。
空気の差を特にはっきりと感じるのはリバーシティ側からみて佃大橋の右側のテラスである。聖路加側でも佃大橋を境に空気が変わる。

++++++

午後から六本木ヒルズのイベントに参加の予定である。
しかし外は本降りの雨だ。

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