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2005年09月16日

「東京少女」 ~はじめてケータイで小説を全編読んだ~ このエントリーを含むはてなブックマーク

■東京少女
http://www.asyura2.com/0403/lunchbreak3/msg/1070.html

2ch発の物語とのことだが僕が読んだのは上記の「阿修羅」という掲示板に掲載されたバージョンである。 ケータイで読むことができる小説コンテンツのサービスなどいくつかあるがそれらのコンテンツには全く興味がなかったし、いまもない。

電子テキストについては様々な開発や開拓がを試みられているがこの作品を読んだ後だと、そこで重視されている

「縦書き」

「綺麗さ」

などの「見た目」はコンテンツの面白さとはあまり関係がないのではないかと思う。紙で存在しているテキストを画面上に再現するというやり方には創作プロセスのイノベーションがない。 コンテンツのイノベーションは見かけよりも創作過程にある場合が多い。この作品もローカルな環境でエディタで書かれた小説ではない。 掲示板というオープンな場でコミュニケーションの一形態として書かれたテキストである。

電車での移動中、興味半分でW21CA(auのPCビューア付きケータイ)で上記のサイトにアクセスして読み始めると、 これがもう止まらない。この物語が書かれた「場」と自分が読んでいるブラウザという「場」の一体感みたいなものがあって。 それがコンテンツのDNAみたいに自分がいま読んでいる画面にも反映されてしまっているのだ。

だから、ケータイの画面でも違和感なく読み進めることができるのである。
通常、ケータイの画面で最も多く読まれるのは

「メール」

である。メールの文章は雑誌や書籍の文章と違って「創られた感」がない。上手な文章ではないが、よりパーソナルでメッセージ性が強い。 PCでも最も集中して「読む」のは「創られたテキスト」ではなく「メール」だ。

僕たちの脳はPCやケータイで文字を読むときこのモードにチューニングされる。

だから、書籍に使われている文体がケータイの画面にあらわれると妙な違和感があって、読む気をなくしてしまう。

この作品の場合、違和感が少ないのだ。
「創られた文章」と「パーソナルな文章」のバランスが絶妙なのである。

このテキストの面白さは、 テキストが書かれた場所と読まれる場所がシームレスにつながっているネットな創作過程がつくりだす固定される前の生なテキストな面白さで、 ケータイやPCで読んでも違和感が生じにくいストーリーテリングの形なのだと思う。

http://www.amebabooks.co.jp/tokyogirl/

に作品が出版されるまでの経緯が書かれている。

東京少女~ぼくとオタとお姫様の物語 

この作品は書籍化され、アマゾンや書店で購入することもできるができればケータイ、あるいはPC上で

「読む」

ことをオススメする。
どの媒体でどんなコンテクストで読むかが作品の内容以上に重要で、

「画面で読む」

ことが与える新しさを是非感じ取って欲しい。

投稿者 TKM : 2005年09月16日 04:08

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